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▲多胡碑覆屋 (内部〔碑〕は撮影禁止!) |
▲多胡碑記の碑 |
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▲敷地内に散らばって刻まれている碑文のひとつ 足元にあったり…一文字のがあったり… |
▲敷地内にある多胡村115号古墳 西隣には片山1号古墳もあるよ |
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▲左:パンフレット 中:入場券 右:拓本(複製) | ▲平成10年〜の多胡碑記念館書道展作品碑 |
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多胡碑到達日:2005年7月27日(水)14:40 | |||||||||||||||||||||||||||||
多胡碑 材質は、牛伏砂岩(うしぶせさがん)と呼ばれる花崗岩質砂岩で、碑のある吉井町南部の 第三紀層から産出し、天引石(あまひきいし)または多胡石と呼ばれている。 形状は、碑身・笠石・台石から構成されていたが、現在台石は紛失してしまっている。 碑文は磨かれた碑面に6行80字の楷書(一部は行書)が丸底彫りされている。 和銅四年(711年)に上野国の片岡郡・緑野郡および甘良郡から三百戸を分割して新しく 多胡郡が設置されたことを記す石碑で、「続日本書紀」内の記述ともほぼ一致している。 詳しく学ぶには現地へ直接訪れよう!
多胡碑記の碑 碑は根府川石。文学博士「男爵細川潤次郎(元老院議官)」が明治12年冬に上野三碑を 巡覧した。その際、多胡碑の考証や三碑の状態を記録に残した。それが刻まれている。 書は日下部鳴鶴の筆による独特の隷書体。碑文は早くに出来ていたようだが、経費の 関係で大正5年(1916年)1月の建立となった。 他にも「歌碑」が数碑敷地内に置かれている。 館への訪問感想 仕事柄ここへはよく来る。といっても4度目だが… 今回は日頃お世話になっている「21世紀燕京書道交流協会」さんの多胡碑展が開催されていたので 足を運んでみた。全ての掛軸が中国で仕立てたものであり、独特の空気が流れていた。 一昔前よりも、使用されている緞子が厚みを増しているような感じであった。 多胡碑記念館内では日本三古碑を初め、石碑のなんたるかを学ぶことができる。この日は常設展展示物が 半分ほど片付けられていたが、『拓本の部屋』では中国の代表的な拓本を鑑賞できる。 各展示室にはありがたいことに詳細を記した持ち帰りOKの説明書が用意されている。 また、受付場所には多胡碑に関するおみやげ物コーナーがある。 Tシャツ(1000円)から一筆箋(200円)、ミニ多胡碑(2500円〜)、各種拓本(複製) など、、、、民間施設ではないのでとても良心的な価格設定がされているようだ。 年間を通じ、頻繁に企画展が催されているので今後も訪れることだろう・・・ |
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