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 【1】 001〜050
メインページで過去に掲載させていただいたお墓です
(撮影:トモナリWEB店長 ・・・興味のある方はお便りくださいませ)
画像を使用されたい方も遠慮なくお申し付けください(紛失してしまったものも有)




 

〜2011.12.2
中国のお墓050

≪真嬢墓≫
(唐)

【江蘇省蘇州市虎丘断梁殿外石道試剣石付近】

本名は胡瑞珍(女性)。
北方の良家出身であったが、安史の乱期に
相次いで両親を亡くし、ここ蘇州へ逃げ延びてきた。
あらゆる面にて秀でた才能をもち、その美貌から
城内外にて名妓(芸者)さんとして知られるようになり…
裕福な家柄の青年「王蔭祥」が真嬢に恋をする。
彼は財力に飽かせて強く婚配を迫るが、、、
それを拒否して彼女は貞節を守ったまま自害した。
白居易や劉兎錫らが詩に残している。

 


  【付録画像】
同じく虎丘内、高さ47mの「雲岩寺塔」です。
地盤沈下により3.5度ほど傾いています。
(ちなみにピサの斜塔の傾斜は約5.5度)

と、、、広大な虎丘は陵墓である!
厳密に言いますと真嬢墓と雲岩寺塔の間にある
剣池が「ある人物」の墓所にあたります。
そのお話はまた次の機会に・・・

 

〜2011.9.6
中国のお墓047

≪魯迅墓≫
(1881〜1936)

【上海市虹口区魯迅公園】

日本でもお馴染のお方ですネ!
始めは万国公墓(現:宋慶齢陵園)へ葬られたが、
没後20年目の1956年にこの地(魯迅公園)へ移された。
墓碑壁の字は毛沢東のもの。
※万国公墓には宋慶齢(1893-1981)のほか、
内山完造(1885-1959)や陳逸飛(1946-2005)
など文化人や芸術家が眠っている。



【付録画像】
魯迅公園から徒歩10分ほどのところに
この魯迅故居がある。観光客は殆どいないので
管理人さんから詳しく説明を聞くことが出来る。
生家のある紹興にも故居や紀念館がある。




〜2011.10.2
中国のお墓048

≪沈家本之墓≫
(1840〜1913)

【浙江省湖州市呉興区妙西鎮杼山】

清末の偉大な法学家です。
中国を闊歩されると、博物館などで古代の残酷な
刑罰の様子をパネル展示などでよく見かけるかと。。。
これらの酷刑の廃止し、近代法制へと尽力した人物。
北京の宣武区内の胡同には故居が残されている。




【付録画像】
沈さんのお墓がある場所…『杼山』
この山銘を聞いてピンときた方はよほどの中国通です。
そう、『茶経』著述でしられる陸羽が眠る地です。
沈さんの墓の西のほうにあるらしいのですが、
残念ながら場所は確定してません。
でもはるか山奥に「陸羽茶文化景区」
が設けられ
その一角に陸羽墓が置かれています。
そのお墓はまた次の機会に・・・
『竹』・・・さすがに湖筆の故郷湖州。
どこへ行っても竹だらけです。


〜2011.11.5
中国のお墓049

≪張遼墓≫
(169-222)

【安徽省合肥市廬陽区逍遥津公園】

ご存じ『三国志』の武将です。董卓や呂布に仕えたのち
曹操のもと「官渡」、「赤壁」、「合肥」などの戦いで
活躍した魏内でも屈指の英雄!
『泣く子も黙る…』の語源説になるほど、
呉からは恐れられる存在だったようです。



【付録画像】
同じ逍遥津公園内の池に「張遼衣冠塚」もある。
しかしながら・・・
塚碑(画像中央)のある小島へと架かる橋は無い。
貸しボート(スワンボート)に乗っていくことになるのだ。
私の場合…おっさん独りで乗る勇気はなく断念。
(旅仲間の友人は訪れた際、ひとりで乗ったらしい・・・)



 


〜2011.6.2
中国のお墓044

≪北宋曹皇后陵≫
(1016-1079)

仁宗の眠る宋永昭陵園内北西部にある。
聡明で慈悲深く、仁宗亡き後は英宗を補佐した。
政治面や文化面にて、司馬光や
王安石、蘇軾、蘇轍とも関係の深い人物である。

【河南省鞏義市】




【付録画像】
中国石彫史上でも傑作中の傑作とされる
仁宗永昭陵神道にある『瑞禽(ずいきん)』。
永昭陵は中国のお墓33にて登場済!




〜2011.7.8
中国のお墓045

≪孫武墓≫
(前535-?)

蘇州の観光地「虎丘」から北東へ・・・徒歩1時間
「御苑家園」という広大な緑地内にあります。
彼は春秋時代の軍事思想家。孫子兵法書で有名かと。
三国時代の呉の孫権は孫武の子孫との話も。。。

【江蘇省蘇州市相城区】




【付録画像】
「ん!? なんだこれは?」・・・
1972年に山東省臨沂銀雀山漢墓にて出土した
233枚のうちの一部です。「孫子兵法」孤本としては
最も古いものと言われている。
同地では同年4月に「孫ピン兵法」竹簡222枚も
発見されていて、漢墓竹簡陳列庁に。



〜2011.8.18
中国のお墓046

≪丁氏祖墓群≫
(唐〜現在)

「泉州伊斯蘭教聖墓」内にある墓群です。
でも・・・みんなが訪れるお目当てのお墓は
この西側回廊にある「霊山聖墓」となります。
そこは野良犬が多いうえ草木が生い茂っていました・・・。
唐代にマホメットの弟子たちがこの地へ布教しに来て、
そのうちの三賢・四賢が聖墓に眠っているとのこと。

【福建省泉州市豊沢区】




【付録画像】
その霊山聖墓内には注目したい石碑があります。
◆重修聖墓的阿拉伯文碑(元)、
◆重修温陵聖墓記碑(清)、
そして画像の◆「鄭和行香碑(明)」である。
鄭和(1371-1434):明の武将/七度の大航海
五度目の南洋への旅立ちの際(1417年)、
ここに立ち寄り航海の無事を祈願し
お参りしたことを記したもの。
そして・・・
2年後にアフリカからキリンを持ち帰ったのだ。



 


〜2011.3.7
中国のお墓041

≪南宋永穆陵≫
(13世紀)

南宋理宗皇帝趙ホ(1225-1264)の陵墓。
銘木馬尾松と茶畑に囲まれた南宋六陵内の一角にある。
文物碑や遺構は殆ど無いが陪葬墓は状態が良いものも。
理宗は朱子学に没頭。※朱子(朱熹)は12世紀のひと。
12世紀は大詩人「陸游」が闊歩していた時代でもある。
理宗の100年前・・・書画題材にもたびたび登場する北宋の
徽宗。彼が芸術方面に傾倒するあまり国力衰退→各地反乱
→のちの「靖康の変(南遷)」へと繋がったとの見かたも。。
この各地での反乱期を明代に創造したものが「水滸伝」。
【浙江省紹興市皋埠鎮】


〜2011.4.3
中国のお墓042

≪陳化成墓≫
(1776-1842)

福建省同安のひと。アヘン戦争(1840〜)の英雄。
墓は厦門駅南の繁華街から少し入った住宅地にある。
同じく福建省出身でアヘン取り締まりに奔走し、
多くの遺墨も残る「林則徐(1785-1850)」の墓も拝みたく
福州へ足を運んでみたのですが、軍区内にあり断念。

【福建省厦門市梧村金榜山】




〜2011.5.2
中国のお墓043

≪陳嘉庚墓≫
(1874-1961)

同安県(現厦門市)集美出身の実業家・教育家。
祖父は「陳簪聚」、父は「陳杞柏」で華僑の陳一族。
17歳の頃シンガポールへ渡り、ゴム事業にて財を成す。
マレーおよび厦門にて数々の教育機関を創立したこと
でも知られる。(華僑中学や厦門大学など)
1949年10月1日の中華人民共和国開国大典時には
毛沢東と共に天安門城楼に参列していた。

【福建省厦門市集美】




【付録画像】
『ゴム王』陳嘉庚の地元・・・
中国鉄道「鷹厦線」の厦門駅から二つ目の『集美駅』
1956年から半世紀使われてきたが、福州−厦門間の
高速鉄道開通と共に姿を消す。駅舎は酒場として改装され
再出発したが、現在は廃墟。近々取り壊される予定だ。
中国でもそのうち『廃線跡探訪』の旅が流行るかも!?


 


〜2010.12.2
中国のお墓038

≪龍門峡懸棺/崖墓≫
(春秋〜清)

三峡下りをご経験された方は見覚えがあるかと。
長江本流の巫山から離れ、大寧河小三峡および
小小三峡方面へ北上すると断崖に幾筋もの古道や
溝が見えてきます。巴蜀文化の懸棺葬遺跡である。
巴蜀符号ともよばれる特異な巴蜀文字による
書作品に挑戦されてみてはいかがですか?
【重慶市巫山県双龍鎮】



〜2011.1.3
中国のお墓039

≪張ホウ墓≫
(1886-1966)

洛陽から40数キロ西の鉄門鎮に「千唐志斎」がある。
その名の通り、唐代墓誌千件(1191件)が収蔵されている他、
300件程の他時代の墓誌や石碑が置かれている施設だ。
米フツ/鄭板橋/董其昌/于右任/王鐸/呉昌碩などの
書画石刻が拝める。とても楽しいところである。
辛亥革命期の元老「張ホウ」が、各地に散在する墓誌を
故郷鉄門に蒐集したものである。
施設内の一角に彼の墓園が置かれている。
【河南省新安県鉄門鎮】


〜2011.2.4
中国のお墓040

≪西夏王陵≫
(11〜13世紀)

夏太祖李繼遷から末帝南平王までの12代中9座の王陵と
その陪葬墓200座がこの一帯に点在している。
諸説あるものの、全ての陵が誰のものかは判明していない。
チンギスハーンによる盗掘跡と、付近に散らばる色とりどりの
陵墓から崩れ落ちた陶片が見どころである。
異様に画数の多い西夏文字にも注目しよう!
余談ですが・・・この地から北京へ列車で帰る途中に
大地震に遭遇。冷房空調なしの車内に数十時間
閉じ込められました。(1998年夏:張家口地震)
【寧夏回族自治区銀川市西賀蘭山】



〜2010.11.3
中国のお墓037
≪晋王右軍墓≫
(王羲之 生没303?-365?)

『釈迦に経』を避けたい為、この人物の説明は
省略させていただきます!
王羲之関連画像を下記にUPさせていただきました。
故居〜「集字聖教序」/「興福寺断碑」の西安碑林や
「快雪時晴帖」の快雪堂、終焉の地会稽まで。
尚、同じ紹興市内の「蘭亭」と「墓」は直線距離で
70qほど離れています。
機会がありましたら訪れてみてくださいませ!
【浙江省紹興】




琅邪王羲之故居(山東省臨沂)



晋王右軍洗硯池(山東省臨沂)


会稽之地(浙江省紹興)


快雪堂(北京市)


西安碑林(陝西省西安)


墨華亭(浙江省紹興)


蘭亭(浙江省紹興)


金庭観右軍祠(浙江省紹興)


金庭観(浙江省紹興)

 


〜2010.8.4
中国のお墓034
≪遼太祖陵≫
(耶律阿保機 生没872-926)
契丹国初代皇帝(二代目〜「遼」とも称す)のお墓
現在も考古発掘が行われていて、長らくは旧日本軍作成の
地図類が頼りであった。管理所へ出向くとこれらを拝める。
2008年には契丹文字刻の石碑断片か発見されている。
文人・詩人としても知られ、たびたび書作品の題材と
される「耶律楚材」は、同族の子孫。
【内蒙古自治区巴林左旗】


〜2010.9.9
中国のお墓035
≪毛主席紀念堂≫
(毛沢東 生没1893-1976)
うまく説明は出来ませんが所謂「お墓」ではございません。
毛沢東の遺体が安置されている館(霊廟?)です。
この画像は天安門広場南部の正陽門から撮影(北向)。
正面上部の紀念館題字(金字)は華国鋒によるもの。
毛沢東題字モノは数知れず・・・数千とも数万とも。。。
その中で「北京站(駅)」看板文字(夜間は赤点灯)について、
実は2008年のオリンピック前(6月)に掛け替えられました。
漢字の下に英語表記が!知ってました?
【北京市】


〜2010.10.3
中国のお墓036
≪建陵 南梁文帝蕭順之墓≫
(蕭順之 生没?-?)
南蘭陵人。南梁を建国した蕭衍の父。蕭道賜の子
「南梁」とは南北朝期に都を建康(現:南京)とし、
502年〜557年の短命王朝(皇帝は4代:文帝含まず)。
六朝石刻内でも比較的規模の大きな陵墓でるが、
2003年時は野ざらし状態であった。当時から
「丹陽斉梁文化公園」構想が持ち上がっていて
「中国石刻芸術博物館」や「斉梁文化博物館」の
建設話が沸騰していた。開館したのかな?
【江蘇省丹陽】



〜2010.5.3
中国のお墓032
≪白居易墓≫
(白居易【白楽天】 772-846)
「琵琶行」「長恨歌」など…中唐の大詩人である。
ご存じ『龍門二十品』の龍門からみて尹河の対岸にある。
この『白園』は清康煕年間に旧寺を復興して整備された。
本来の墓所はこの場所よりも少し南に位置するらしい。
また、『龍門白園日本書法家碑廊』は2000年3月17日
に建てられた。30名の先生方の作品をみることができる。
【河南省洛陽市】


〜2010.6.2
中国のお墓032
≪満城漢墓≫
(中山靖王劉勝墓 BC154-BC113頃)
前漢(西漢)の景帝「劉啓」の子。
西
漢中山王系にいた十代中、一代目。在位は42年。
さて、劉備がこの“靖王劉勝”の末裔かどうかは置いといて
この靖王には百数十とも云われる子がいたという。
その子たちがまた多くの子を産み…劉勝の死後273年後に
出生の劉備の頃には少なく見積もっても数万人の子孫…

意味不明の方は三国志『演義』を読んでくださいまし!
【河北省満城県】


〜2010.7.2
中国のお墓033
≪北宋 永昭陵≫
(北宋仁宗趙禎墓 生没1010-1063)
北宋陵は南宋陵(紹興)とは構えが異なり壮観である。
永昭陵は北宋四代目の皇帝趙禎のもの。在位は42年間。
西夏や遼と睨みあいながらの治世は困難を極めていた。
しかしながら墓は立派で、各所の石刻が見ものである。
特に「吉祥瑞禽」は中国石彫刻史上でも傑作中の傑作だ。
陵園内後方の皇后陵神道にも幾対もの石刻群がある。
【河南省鞏義市】



〜2010.2.11
中国のお墓028
≪許崗古墓≫
村の住人に案内してもらって到達。。。
なるほど、版築面がむき出しになっている。。。

戦国期の韓王陵の属墓。600ほど点在する古墓群の中で、
ここでは四座の大型古墓が見つかっている。
韓では7人の君主がいたのでもしかしたらそのうちの一人かも・・・

【河南省新鄭許崗村】



〜2010.3.7
中国のお墓029
≪胡門遂墓≫
1918-1999
宋慶齢陵園(万国公墓)内に眠っている。
浙江省出身の近代書法家。伯父にあたる胡光之は
浙東書法(紹興・寧波)の名家として知られている。
35歳の頃、沈尹黙に師事。1979年には
上海書法家第一回代表団として来日している。

【上海市】


〜2010.4.3
中国のお墓030
≪朱然墓≫
(朱然 181-249)
副葬品に刻まれた文字より朱然の墓と判明。
三国志マニアが多く訪れる場所である。
彼は呉の孫策の弟、孫権と共に時を歩んだ人物。
三国志演義では趙雲に斬られ終わるが、史実は病死。
また、世界最古のものとされる朱然の「名刺」が出土。



〜2009.11.3
中国のお墓025
≪米フツ墓≫
言わずと知れた北宋末の書画家。宋四大家のひとり。
蒐集癖を持つ点…とても興味のある人物である。
お隣にある「五義士之墓」と共に1993年10月に重建された。
鎮江交通旅游地図/両岸地図上記載の位置は誤りなので注意。

【江蘇省鎮江市】


〜2009.12.2
中国のお墓026
≪湯和墓≫
朱元璋(明初代皇帝)のともで動き、
明開国の名将として名高い。生没:1326-1395

神道225mの間には6対の石刻が置かれ、、、1973年時の
発掘調査にて出土した文物などは陳列館や享堂にある。
頭上の送電線群の「チリチリ」音が非常に気になる場所だ。
【安徽省蚌埠市】


〜2010.1.12
中国のお墓027
≪顔真卿墓≫
山東臨沂顔氏出身。孔子の弟子顔回が先祖だ。
皆さんご存じ!唐代(709-785)を生きた能書家である。

すぐ近くの隴海鉄路を越えて南側へ行くと一対の石馬と
朽ち果てた亀趺が畑の中に転がっている。
【河南省偃師市山化郷湯泉】



〜2009.8.4
中国のお墓022
≪狄仁杰墓≫
劉徳華(アンディ・ラウ)主演の新作映画「狄仁杰之通天帝国」にて
知った方も多いと思う。則天武后の頃に活躍し正義の味方として
名高い唐の名宰相。
墓は白馬寺前庭。
明萬暦二十一年立の墓碑有。

【河南省洛陽市


〜2009.9.6
中国のお墓023
≪北陵(昭陵) 皇太極墓≫
清太祖ヌルハチの第八子、太宗ホンタイジの墓。
修復され綺麗に整備されていている。
奥にみえる白いものが墓台。

【遼寧省瀋陽市】


〜2009.10.4
中国のお墓024
≪東陵(福陵) 努爾哈赤墓≫
市内東部に位置するため東陵と呼ばれている。
清太祖愛新覚羅努爾哈赤(ヌルハチ)の墓。
東陵公園として整備されている。

【遼寧省瀋陽市】




〜2009.4.28
中国のお墓019
≪徐達墓≫
「明中山王」、、明建国の立役者のひとり。
整然とした小さな陵園。紫金山周辺には明初期の重鎮たちの
墓が点在しているのでハイキングコースを作ってみては?
また、徐達の故居は太平天国歴史博物館として現存している。
【江蘇省南京市】


〜2009.5.30
中国のお墓020
≪竺法蘭墓≫
初訪洛から10数年、、やっと白馬寺へ行きました(2008年)
後漢明帝の頃、白馬に経典をのせて天竺から・・・。
中国最初の仏教寺院「白馬寺」の西側に置かれる
高僧竺法蘭の墓。もう一人の立役者のお墓は次回。
【河南省洛陽市】



〜2009.7.4
中国のお墓021
≪迦葉摩騰墓≫
前回のお墓「竺法蘭墓」にそっくりである。
ふたつとも明代最後の皇帝である崇禎帝期のもの。

傍らの像碑では竺法蘭は腕に、迦葉摩騰は首から
数珠を掛けている。

【河南省洛陽市】


〜2009.1.20
中国のお墓016
≪杜甫墓≫

全国に幾つも存在する杜甫墓のひとつ。
偃師城関三中の学校裏庭に一族の墓と共に置かれている。
見学に来たことを告げると快く入れてくれる。
国道310号から入ってすぐなので行きやすい場所にある。
乾隆五十五年立の墓碑有。
【河南省偃師市城関鎮后杜楼村】

〜2009.2.21
中国のお墓017
≪明孝陵≫
明太祖朱元璋の陵墓。とにかく規模が大きい。
周辺には三国志の孫権墓や、中山陵もある。
六朝時代の墓も多く、石刻マニアにはたまらない地域だ。
また、陵墓地下宮殿の発掘調査が待ち遠しい。
【江蘇省南京市】

〜2009.3.25
中国のお墓018
≪斉白石墓≫
ご存じ!詩人・画家・篆刻家。。。生没年(1863-1957)
「こんな場所?」的な、、アパート群内の一角に眠る。
夫人との合葬墓。右が斉白石墓。
【北京市海淀区】



〜2008.10.17
中国のお墓013
≪侯村失名墓≫
南京周辺の六朝石刻群のひとつ。石柱と東西に
石辟邪(ヘキジャ)が現存する。ここへは地元の農民に
連れて行ってもらいましょう!(5世紀〜6世紀)【江蘇省江寧】


〜2008.11.19
中国のお墓014
≪秦荘襄王陵≫
「奇貨居くべし」・呂不韋に目を付けられた人物こそ荘襄王。
子楚と言ったほうが分かりやすいかな。
そう、始皇帝の父の陵墓です。 ん?墓が見えないよ!・・・
いえいえ、この文物碑裏の壁のずっと奥に
でぇ〜んとございます。
【前250年頃(陝西省西安市)】


〜2008.12.25
中国のお墓015
≪大禹陵≫
「蘭亭」だけでなくここへも行こうネ!
伝説の帝王。治水の神様。。。。
この碑は明洪武年間に祭祠三十六陵之一と制定された際
立てられたもの。書:南大吉。良く見ると碑面に亀裂が・・・
1950年代に台風によって真っ二つになってしまった痕。
【始建は南朝梁代(浙江省紹興)】



〜2008.6.30
中国のお墓008
≪蘭陵王墓≫
美男子であったとされる蘭陵王「長恭」の北朝墓群内の墓。
舞楽よりも我々は『蘭陵王碑』に注目しよう!【河北省磁県】


〜2008.7.26
中国のお墓009
≪石房子≫
遼祖州遺跡内のドルメン。石室とみられている。
高さは4メートル位あったかなぁ。【内蒙古自治区巴林左旗】


〜2008.9.16
中国のお墓012
≪胡亥墓≫
秦始皇帝の次の皇帝の陵墓ですな。市内から程近い
場所にあるのだが、訪れる人は皆無・・・。【陝西省西安市】



中国のお墓005
≪漢光武帝陵≫
「皇帝になりたくてなったわけではない」と口にした劉秀の墓
神道は非常に広く長い。【1世紀 河南省孟津県】


中国のお墓006
≪南唐二陵 順陵≫
唐滅亡後宋に移るまでの五代十国期の陵墓。
南京南郊に位置する。【10世紀 江蘇省南京市江寧区】


〜2008.6.19
中国のお墓007
≪岳飛墓≫
南宋期の英雄「岳飛」の墓。ここの廟は1221年創建だが、
重修移転をしている。【浙江省杭州市】



中国のお墓002
≪孔子墓≫
滞在中、「私は孔子の末裔」という
あやしい人間数十名に遭遇。【山東省曲阜】


中国のお墓003
≪包拯墓≫
中国版大岡越前「包公」。北宋の名文官。
知らない人は潜りですよ。【安徽省合肥】


中国のお墓004
≪遼慶陵陪葬墓≫
耶律隆緒・耶律宗真の陵墓付近。ここへは馬に乗って
行きましょう。【10世紀 内蒙古自治区巴林右旗】


≪溥儀墓≫
ご存じ清朝最後の皇帝の陵墓です。
清西陵内ではない。【河北省易県】

中国のお墓001
≪袁世凱墓≫
中華帝国最後の皇帝(闇の皇帝)の陵墓です。
殷墟からバスで20分。【河南省安陽】

 


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