寒山寺とは・・・

当該ページの最終更新日=2009.10.23




〜寒山寺〜
江蘇省蘇州市寒山寺弄24号

ご存知「寒山寺」。説明するまでもないかと思いきや・・・
日本人の悪いところで、行ったけど何も知らないという方が大半のようです。
ありきたりの紹介文ではなく、まずは「寒山五古」あたりから簡単に・・・。

※各文章は90年10月、96年6月、05年11月、09年10月と訪院した記録から〜。


古  寺(寒山寺)
六朝文化花咲く南朝梁武帝の天監年間(502-519)の創建と言われる寒山寺。
創建当初は「妙利普明塔院」とされ、又の名を楓橋寺とも呼ばれていた。
唐貞観年間に入ると高僧「寒山」と「拾得」が来院し、寺名を寒山寺と改名した。
寒山寺售票処(右上の照壁の西にある) 大雄宝殿前庭
寒拾殿から見た普明宝塔方面 大雄宝殿

古  橋(江村橋&楓橋=江楓古橋=封橋)
“楓橋夜泊”で有名すぎる「楓橋」と、寒山寺南門付近に架かる「江村橋」を合わせて「江楓古橋」という。
参拝客のほとんどは北からではなく南の照壁(「寒山寺」と黄色の壁に書かれている場所)から寺に入る。
その手前の運河に架かる橋が江村橋だ。バスを降りてここへやってきた観光客の何割かは「お〜楓橋だ」
と言いながら写真を撮る。次の瞬間「コレ違います!」とガイドが冷めた口調で言う。写真を撮っていた
おじさんは恥ずかしそうに寺へ入ってゆく。・・・・が、恥ずかしがることはないのだ。この江村橋こそ寒山寺へ通ずる
言わば参道橋なのである。・・・・と、余談が過ぎたが、この2橋は双子橋「封橋」とも呼ばれ、江南地方でも
指折りの古橋とされている。(唐元和年間に創建されたという宝帯橋と共に蘇州古橋観光をされたし!)
現在架かっている2橋は清同治年間の修建である。
楓橋(右は鉄鈴関) 楓橋景区側からの楓橋(手前は張継像)
江村橋近影 江村橋


古  関(鉄鈴関)
創建は明嘉靖年間。蘇州には平望や下津橋など、他にも強固な関が築かれていたが
度重なる戦争によって、失われてしまった。しかし、この鉄鈴関は戦火を逃れ唯一現存している
大変貴重な関楼なのだ。が、、、修歴はたくさんあるらしい。
寒山寺側からの鉄鈴関と楓橋 楓橋渡橋からの鉄鈴関


古  鎮(楓橋古鎮)
楓橋古鎮は楓橋大街から寒山寺弄の2条の通りをいう。
90年代中ごろまでは寒山寺周辺も古鎮とういう名が相応しい通りが多かった。
蘇州市内の近代化に伴い、観光名所であるここも各種整備が進み・・・
この「発展」というものは良いことなのか悪いことなのか議論のあるところ。
こんな運河が張り巡らされている。が・・・ 大きく姿を変えた寒山寺周辺の楓橋景区


古 運 河(京杭大運河)
北京市通州区から浙江省杭州市までの1794q(1782qとも)を流れる大運河を指す。
北京・天津・河北・山東・江蘇・浙江と水を運び、海河・淮河・黄河・長江・銭塘江の6大水系と接している。
春秋戦国の呉夫差がはじめに着手し、隋の煬帝楊広の頃には本格的に工事が進み現在の基礎が出来上がった。
この大運河が寒山寺の脇を流れている。楓橋景区からはその流れが手に取るようにわかる。
ひっきりなしに運搬船が往来している様は圧巻だ。
往来している船のほとんどが砂利運搬船だ ここの看板では1782qと表示されている


ん??「五古」と言いながら六個目・・・
定説では上記の五古を指しているが、古鐘を入れて紹介していることもあるので付け加えておく。

古 鐘(寒山寺歴代蔵鐘)
張継の詠んだ「楓橋夜泊」でも、詩の後部で“夜半の鐘声客船に到る”と登場している。
最近ではこの寒山寺の鐘の音を聞きに世界中から参拝客(観光客)が押し寄せていて、
特に大晦日の除夜の鐘つきの一番手になるためのオークションは毎年注目を集めている。
寒山寺の鐘は現存するものは118あるとされるが、ほとんどは明清代のもの。
友好目的で日本にレプリカも来ている。大阪池田や石川金沢で見ることができる。
碑廊の傍にある「鐘房」 「鐘房」内の古鐘(境内には他にもゴロゴロしている)








〜楓橋夜泊〜

月落烏啼霜満天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘声到客船

月落ち烏啼いて 霜天に満つ
 江楓漁火 愁眠に対す
 姑蘇城外の寒山寺
 夜半の鐘声 客船に到る

寒山寺碑房(碑廊)
境内のいたる所に石碑が置かれている。中でもこの「寒山寺碑廊」と「楓橋詩碑廊」には
沢山の碑石が並んでいるので、鐘をつくだけではなくこれらの碑も鑑賞してほしい。
文物的な価値としては題名の2碑廊とは別の「碑房(碑室)」に置かれている歴代の石碑が価値有。

寒山寺へは張継詩「楓橋夜泊」が刻まれた石碑をお目当てに訪れる人が多い。
我々が良く目にする「楓橋夜泊」の拓本は清道光年間の詩書人兪エツ(ユエツ)書のものが殆どである。
(ちなみに呉昌碩も兪エツ門下のひとり)
さて、寒山寺境内を散策してみると多くのこの「楓橋夜泊」詩碑を見ることが出来るが、
どれが何なのか・・・少し知っておく必要がある!?だろう。


寒山寺歴代「楓橋夜泊」詩碑

書人名 備考
第1碑 王珪(1019-1085) …早くに紛失。近年集字復刻された。
第2碑 文微明(1470-1559) …火事により破損。碑房に有。 
第3碑 兪エツ(1821-1907) …保存状態良好だが磨耗。
第4碑 張継(??-1947) …唐の張継と同姓同名。
第5碑 李大剣(1889-1927) …寒山寺別院松茂亭内に有。碑廊にも有。
第6碑 劉海栗(1896-1994) …近代書画家。1981年の作。碑房に有。
第7碑 陳雲(1905-1995) …80歳代の作品とされる。碑房に有。
新碑 啓功・趙樸初など …碑廊には文化人数十名による詩碑が並ぶ。


寒山寺碑廊
寒山寺碑廊・・・碑房とは離れている 左:啓功書   右:李大剣書
左:私のボス(長城学会の)羅哲文の書 右:銭太初書  有名どころの文化人だらけなので楽しい
碑房(および周辺碑)
観光客が群がるのはこの見栄えの良い翻刻碑・・・う〜ん、考え物だ。 寒山寺性空法師書・・・住職になるには書けなければならないのか
こちらを観賞してもらいたい! 劉海栗書(第6碑) 右:文微明書のものと言われる(第2碑)
左:ケ石如書 右:岳飛題名碑 他には唐寅書碑もあるよ! 碑房と紹介(右下参照)したが、新しい題額には「碑廊」の文字も・・・


楓橋詩碑廊
前述の寒山寺碑廊のおこぼれ的碑廊である。現代書画家の作品が多い。
寒山寺内ではなく、鉄鈴関近くにある。
時間がある方はこちらものぞいてみましょう!  右端に見えるのが楓橋


寒山寺他碑
せっかくなので、境内の他碑も紹介しておこう。
(この他にも沢山の文物碑があるので、ゆっくりと現地で鑑賞してくださいませ)

お土産もの屋さんでは軸装モノは避け、マクリ状態(ペラペラのもの)の拓本を購入して
日本で表装したほうが良い。旅先で時間のある方は蘇州市内や上海市内の表具屋さんに
頼むと“安く”見栄えのよい掛軸にすることができる。(2日もあれば仕上げてくれる。30元〜150元)
寒山拾徳図碑 左:寒山寺重建大雄殿記碑  右:現千手観音碑
左:翻刻碑のひとつ(北門付近)  右:釈迦牟尼佛説法図碑 文物商店内:700元〜1600元の値札が・・・




〜お疲れ様でした〜




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