中国石刻大全 → 寒山寺とは



〜寒山寺〜
江蘇省蘇州市寒山寺弄24号

ご存知「寒山寺」。説明するまでもないかと思いきや・・・
日本人の悪いところで、行ったけど何も知らないという方が大半のようです。
ありきたりの紹介文ではなく、まずは「寒山五古」あたりから簡単に・・・。

※各文章は90年10月、96年6月、05年11月と訪院した記録から〜。

寒山寺の説明なんて要らない!という方は先へ進んでください
●寒山寺碑廊へ


古  寺(寒山寺)
六朝文化花咲く南朝梁武帝の天監年間(502-519)の創建と言われる寒山寺。
創建当初は「妙利普明塔院」とされ、又の名を楓橋寺とも呼ばれていた。
唐貞観年間に入ると高僧「寒山」と「拾得」が来院し、寺名を寒山寺と改名した。
寒山寺售票処(右上の照壁の西にある) 大雄宝殿前庭
寒拾殿から見た普明宝塔方面 大雄宝殿

古  橋(江村橋&楓橋=江楓古橋=封橋)
“楓橋夜泊”で有名すぎる「楓橋」と、寒山寺南門付近に架かる「江村橋」を合わせて「江楓古橋」という。
参拝客のほとんどは北からではなく南の照壁(「寒山寺」と黄色の壁に書かれている場所)から寺に入る。
その手前の運河に架かる橋が江村橋だ。バスを降りてここへやってきた観光客の何割かは「お〜楓橋だ」
と言いながら写真を撮る。次の瞬間「コレ違います!」とガイドが冷めた口調で言う。写真を撮っていた
おじさんは恥ずかしそうに寺へ入ってゆく。・・・・が、恥ずかしがることはないのだ。この江村橋こそ寒山寺へ通ずる
言わば参道橋なのである。・・・・と、余談が過ぎたが、この2橋は双子橋「封橋」とも呼ばれ、江南地方でも
指折りの古橋とされている。(唐元和年間に創建されたという宝帯橋と共に蘇州古橋観光をされたし!)
現在架かっている2橋は清同治年間の修建である。
楓橋(右は鉄鈴関) 楓橋景区側からの楓橋(手前は張継像)
江村橋近影 江村橋


古  関(鉄鈴関)
創建は明嘉靖年間。蘇州には平望や下津橋など、他にも強固な関が築かれていたが
度重なる戦争によって、失われてしまった。しかし、この鉄鈴関は戦火を逃れ唯一現存している
大変貴重な関楼なのだ。が、、、修歴はたくさんあるらしい。
寒山寺側からの鉄鈴関と楓橋 楓橋渡橋からの鉄鈴関


古  鎮(楓橋古鎮)
楓橋古鎮は楓橋大街から寒山寺弄の2条の通りをいう。
90年代中ごろまでは寒山寺周辺も古鎮とういう名が相応しい通りが多かった。
蘇州市内の近代化に伴い、観光名所であるここも各種整備が進み・・・
この「発展」というものは良いことなのか悪いことなのか議論のあるところ。
こんな運河が張り巡らされている。が・・・ 大きく姿を変えた寒山寺周辺の楓橋景区


古 運 河(京杭大運河)
北京市通州区から浙江省杭州市までの1794q(1782qとも)を流れる大運河を指す。
北京・天津・河北・山東・江蘇・浙江と水を運び、海河・淮河・黄河・長江・銭塘江の6大水系と接している。
春秋戦国の呉夫差がはじめに着手し、隋の煬帝楊広の頃には本格的に工事が進み現在の基礎が出来上がった。
この大運河が寒山寺の脇を流れている。楓橋景区からはその流れが手に取るようにわかる。
ひっきりなしに運搬船が往来している様は圧巻だ。
往来している船のほとんどが砂利運搬船だ ここの看板では1782qと表示されている


ん??「五古」と言いながら六個目・・・
定説では上記の五古を指しているが、古鐘を入れて紹介していることもあるので付け加えておく。

古 鐘(寒山寺歴代蔵鐘)
張継の詠んだ「楓橋夜泊」でも、詩の後部で“夜半の鐘声客船に到る”と登場している。
最近ではこの寒山寺の鐘の音を聞きに世界中から参拝客(観光客)が押し寄せていて、
特に大晦日の除夜の鐘つきの一番手になるためのオークションは毎年注目を集めている。
寒山寺の鐘は現存するものは118あるとされるが、ほとんどは明清代のもの。
友好目的で日本にレプリカも来ている。大阪池田や石川金沢で見ることができる。
碑廊の傍にある「鐘房」 「鐘房」内の古鐘(境内には他にもゴロゴロしている)

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