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![]() 〜2012.4.1 中国のお墓054 ≪趙之謙墓址≫ (1829-1884) 【浙江省杭州市西湖畔】 ご存知!…紹興出身の清末書画篆刻の大家です。 金石学に傾倒されていたあたり…大好きな文人です! さて・・・「墓址」?、、、これはどういうことなのでしょうか? 江西にて亡くなったのち、友人らの手によって 浙江に戻り、杭州西湖畔に埋葬された。 現在は遊歩道や周辺道路の整備もされ、歩きでも車でも 容易にこの辺りを闊歩出来るが、当時は獣道を進むか 船に乗ってでの難参拝であったという。 『趙之謙墓』は1956年に省級文物保護単位に登録される。 翌年、付近一帯に丁家山西山路が建設され、 墓園の一部が破壊されてしまうが、墓台は残されていた。 しかし58年、省外の民工による西山路整備工事の際に 墓は姿を消してしまった。重点認識が無かったのだろう。 昔は立派な墓台に二基の石柱が聳えていたそうです。 子孫のかたが写真を保管されていたそうですが、 文革期の混乱の中、消失してしまったようです。 現在は「この辺り」という場所に記念碑(画像)が置かれ、 すぐ近くの湖畔には趙之謙記念亭が建てられている。 ★みなさんへ★ もし当時の写真をお持ちの方がおられましたら… 是非ご連絡(見せて)ください! ![]() 【付録画像】 市街地の路線バス車内です。 車掌さんのいるバスは少なくなりました。 ワンマンバスが増えてきた2000年頃から、 1元・2元運賃が普通となり、 1元硬貨が急速に普及し始めました。 今ではICカード(公共交通カード)ですね。 ヨレヨレの1元札が懐かしい今日この頃。。。 |
![]() 〜2012.5.3 中国のお墓055 ≪欧陽修墓≫ (1007-1072) 【河南省新鄭市辛店鎮欧陽寺村】 吉州(現江西省吉安)出身の『唐宋八大家』のひとり。 ≪修=脩≫ 八大家とは・・・(唐:韓愈/柳宗元、 宋:欧陽脩/蘇洵/蘇軾/蘇轍/曾鞏/王安石) 文人としての面が強烈だが、先輩である包拯(999-1062) には及ばないものの政治家としても才能を発揮している。 墓台の西側には地繋ぎの夫人薛氏墓台がある。 昨年(2011年)秋に書簡96篇が日本で発見された報道は 記憶に新しいが・・・なんと言っても「醉(酔)翁亭記」! 403字詩・・・気概のある人は是非どうぞ! 鑑賞には台湾故宮博物院の文徴明(明)書の 「醉翁亭記」をお勧めしたい。 ![]() 【付録画像】 河南省省都鄭州から40キロほど南下すると新鄭である。 大規模な古城壁の残る街だ。 (興味のあるひとはコチラの「鄭韓故城」を見てください) もう少し南へ行くと三国志でもお馴染みの許昌、 西へ行くと少林寺方面といった場所。 前々から見たかった中国最古の石碑がこの時の目的。 その石碑を拝むまで時間が出来たので欧陽修墓へ。 どんな墓なのか調べていなかったので、新鄭市の文物局と 旅游局へ遊びがてら顔を出す。(左上画像:旅游局) 管理人が居ないときがあるとのことなので前もって連絡を お願いし、乗合バスにて欧陽寺村へ(画像右上) 1時間ほどかかり到着。やはり門は硬く閉ざされている。 「開門!」…弩でかい声で叫ぶが誰も現れない。 通りかかった人も加わり「開門!」 30分ほどが経ちバイクに乗って管理人が現れる。 山門、内門と開錠して墓園へ。貸切のようで気分もいい! |
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![]() 〜2012.1.1 中国のお墓051 ≪虎丘剣池闔閭墓≫ (春秋) 【江蘇省蘇州市虎丘】 春秋期紀元前5世紀頃の呉六代王「闔閭」のお墓。 伍子胥や孫武、夫差といった名をあげると時代が お分かりいただけるかと。 故事成語『臥薪嘗胆』とは、越に敗れた際の傷がもとで 闔閭が亡くなり、後を継いだ次男「夫差」が越王「勾践」を 破るまでの数年におよぶ屈辱と、その後の戦いにて 敗れた「勾践」の心理をうまく表した詞である。 と、、、「闔閭はこの池の下に眠っているとのこと。 ![]() 【付録画像】 剣池手前のこの四字「虎丘剣池」はご存知唐代書家の 「顔真卿」の筆によるもの。しかし…左払いの運筆等から 『真劍池、假虎丘』(本物の剣池、偽の虎丘)とも。 もっとも、現在目にしているこの虎丘は 明万歴年間に大きく手を入れたらしいので・・・。 最後に、一枚目(セピア色)の剣池画像をご覧ください。 崖壁左下の篆書二字「剣池」は、いつしか王羲之書とも 言われていますが、これは元代書家の「周伯g」筆。 虎丘には他にも歴代書家の石刻が見られるので 機会があったら蘇州寒山寺とともに訪れてみてください。 |
![]() 〜2012.2.4 中国のお墓052 ≪明十三陵/裕陵≫ (明英宗墓) 【北京市昌平区】 明6代/8代皇帝英宗とその皇后「銭氏」「周氏」の合葬墓。 9歳にて即位した英宗。社会経済の発展期でもあり、 国家は安泰していた。国が豊かになると、 内面から黒雲がたちこめる…いつの世も同じである。 宦官の王振の悪意が発端となり起こった「土木の変」。 北方部族(オイラト)の捕虜となった英宗であったが、 「奪門の変」にて再び皇帝の座に返り咲く。 前後して22年間の在位。 明代は初期と晩期の歴史に目が行きがちだが、 このあたりも実に興味深い。 ![]() 【付録画像】 裕陵の神功聖徳碑から南側に続く裕陵神路の画像。 数少ない修復以前の状態を保つ陵墓である。 明十三陵は『定陵』『長陵』『昭陵』が一般公開されている。 観光ツアーでは『定陵』、『長陵』/『長陵神道石刻』を巡る 場合が多いが、他の陵墓を廻ることは殆どない。 明代皇帝陵墓は「十八陵」あり、祖陵(江蘇省)/ 皇陵(安徽省)/孝陵(江蘇省)/顕陵(湖北省)を 除いた14陵が北京郊外にある。 「土木の変」収束後に兄の前皇帝(後皇帝でもある)英宗を 軟禁した七代皇帝代宗(景泰帝)=『景泰陵』のみ十三陵と 離れた頤和園近くの金山に小規模に埋葬されている。 |
![]() 〜2012.3.3 中国のお墓053 ≪牛皋墓≫ (1087-1147) 【浙江省杭州市宝石山】 2011年6月、ユネスコの第35回世界遺産委員会にて 杭州『西湖』の文化景観が世界遺産として登録されました。 (※これで中国は41箇所に! ちなみに日本は16箇所) その湖畔に築かれた岳廟に「岳飛」が眠り、その岳廟を 見下ろす(実際は見えない)高台に「牛皋」が眠っている。 牛皋は汝州魯山のひと(現河南省魯山)。 抗金の名将岳飛に従い、しばしば戦功をあげる。 三国志でいうところの張飛的存在かな。 悪役「秦檜」の命により、前後して岳飛も牛皋も 毒殺されてしまう。岳飛と共に『民族英雄』である。 ●過去に掲載した中国のお墓はこちら● ![]() 【付録画像】 上述文言の流れから、西湖画を添付しようと思いましたが、 在り来りの湖写真になってしまいますので・・・ (※このページ内最上部の夕焼け画像が西湖です) 杭州の名物料理をご紹介! 中国八大料理のひとつ「杭州料理」は日本人に好まれる 素材や味付けが多い。有名どころは・・・ 蘇東波の愛した豚の角煮「東波肉(画像右上)」、 龍井茶とむき海老を炒めた高級料理「龍井蝦仁(左上)」、 他には「杭州小龍包」やジュン菜を使用した料理など。 で・・・・このラーメンのようなものはなんでしょう?? 正解は「片儿川面」! 東北の小麦粉を使い、豚肉片と筍、雪菜が入った 独特の味がする「風味小吃」です。 有名どころの「楼外楼」、「天外天」、「山外山」での食事も 良いですが一般食堂(画像品)もおいしいですよ! 余談:ひとりで中国での食事は非常に寂しいです。 |
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