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| 020司馬遷祠墓碑林 |
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陜西省韓城市芝川鎮東南高崗上 |
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司馬古道 |
列伝碑 |
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管晏列伝碑(※刻字模様が分かるようグレースケール化) |
伯夷列伝碑(※刻字模様が分かるようグレースケール化) |
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芸刻展示室内部-1 |
芸刻展示室内部-2 |
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▲ここは韓城南部にある司馬遷祠墓。墓は最上部にあり、途中までは「神道=司馬古道」が続く。昔は1500mという
長さがあったが、現在は300mほどの石畳の道だ。石の丸み具合からしても相当な年月が経っているのがわかる。
その古道中段あたりの左手に「碑林」が設けられている。神道を進むと、祠墓へ続く99段の階段へと通じる。
祠墓の創建は西晋永嘉4年(310年)である。
碑林内の石碑全てが司馬遷に関するものだ。そのほとんどが1957-8年の改築時以降に作製された碑であり、
近代書家の作品である。その中でも代表的なものが郭沫若書の碑(碑林景区内にはないので後日紹介予定)である。
碑林には『史記』(三十世家・ 七十列)関連の伯夷列伝や管晏列伝などが刻まれている碑が屋外に並び、
屋内には近代書家の題詩碑が並ぶ。 |
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| 019東岳廟碑林 |
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北京市朝陽区朝陽門外大街141号東岳廟内 |
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東岳廟入口(開放される際に作られた) |
東嶽殿(この前の神道両側に碑林がある) |
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西碑林全景 |
東碑林全景 |
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清代修建記碑亀趺 |
無石亀趺 |
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乾隆御碑 |
左:道光・嘉慶年間重刻碑 右:「康煕御碑」 |
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▲元代創建の「東岳廟(北京民俗博物館と同居)」内の東庭と西庭に碑林がある。(五岳の筆頭「東岳泰山」に代表される
東岳大帝とは道教や民間信仰の祭祀上の神とされている。)
北京でも賑やかな朝陽門外大街藍島に程近く、周囲には商業ビルやオフィスビルが建ち並んでいる。そんな「東岳廟」が
一般に開放されたはつい最近の1999年のことだ。ちなみに中国全土に点在する東岳廟の数は孔廟に次ぐ多さである。
ここ北京の東岳廟には元朝から清朝にかけて幾度となく行われた重建修建を記念して建てられた碑や民間善会が建てた
碑など全部で140碑ほどを数えるのだが、「亀趺(きふ)」のみになってしまったものや碑刻石残骸石を除くと90ほどの碑が
現存している。中でも日本人にも大人気の趙孟ふ(1254〜1322)筆の「張留孫到行碑」は御碑と共にこの碑林を代表する
記碑である。
無残にも破壊されてしまったものや碑が盗まれて土台である亀趺しかないもの。一般には残骸と見られてしまう文物も
あるが、歴代の石碑形状を研究する上で大変重要な資料とされている。
「乾隆御碑」は乾隆26年(1761年)に建立された。こちらも他と同様に東岳廟が修復された際に刻まれた碑であり、
正式名称を「東岳廟重修碑記乾隆御碑」という。その名の通り清高宗(乾隆帝)の筆によるものだ。 |
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| 018銅雀台詩 |
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河北省臨ショウ県ギョウ城三台遺跡 |
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ギョウ城三台遺跡 |
左:「銅雀台瓦」 右:「銅雀台碑」 |
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▲唐宋八大家の一人『王安石(1021-1086)』の詠んだ
『銅雀台詩』(吹尽西陵歌舞塵,当時屋瓦始称珍 甄陶往往成今手,尚託虚名動世人)
碑石が置かれている。いつごろ刻されたものかはわからないが、刻字を見て雑な印象を受けた。
この銅雀台については三国志史跡関連に強い「なんちゃって世界紀行」さんサイト内に詳しく解説がある。 |
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| 017龍山題名摩崖刻石 |
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浙江省紹興市 |
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龍山題名 |
唐代名人摩崖題字処 |
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宋代摩崖刻石 |
「茶」・・・宋代の石刻とみられる |
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▲「古越龍山」、、、今では銘酒として知られている紹興の龍山。「越王殿」や「越王台」のある小高い山の北側、
「文種墓」の先にこの唐〜宋代に刻まれた磨崖刻石(石刻)がある。『龍山題名』(紹興市文物保護単位1961.9.29公布)
を代表として、大小30ほどの題名や詩、詞が刻まれている。 |
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| 016天津天后宮碑林 |
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河北省趙県 |
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天后宮 |
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碑林全景 |
碑林 |
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▲天津の歴史は1404年(明永楽2年)に天津城(天津衛)が築かれたことに始まる。
それよりも遥か昔の隋朝に南北大運河が築かれ、天津の地を縦断している。南運河、北運河そして渤海(現海河)
との交差地点「三匯海口」が天津発祥の地とされ「三津」とも呼ばれている。この場所が「天后宮」の置かれている
場所なのだ。昔はこの廟から海が見えたのですねぇ。三津の名は天后宮内の扁額に残されています。「三津福主」と
「佑衛三津」です。
天后宮は天津城が築かれる前の元泰定3年(1326年)に媽祖(まそ)廟として築かれた。世界三大天后宮のひとつである。
(他のふたつは福建省と台湾にある)
さて、碑林のほうはというと4基の廟前碑のほか、現在書家筆の碑刻が碑廊に飾られている。拓本を取りにくる人も少ない
のだろう。それほど汚れた形跡はなかった。
2000年ころまでは廟前には天津古文化街があって古玩市場のように賑わいをみせていたが、古楼広場方面に移転して
しまった。この辺りも大開発の波にのまれている。
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| 015大禹廟遺蹟紀念亭碑 |
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山西省河津市禹門 |
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大禹廟遺蹟紀念亭碑(左:裏,右:表) |
石碑頭図 |
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龍門黄河(激流かなぁ?) 左が陜西省 |
かつて大規模な廟があったとは信じがたい… |
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▲函谷関を左手にみて黄河を遡ると右に急カーブする。先(北)へ更に遡ると陜西省と山西省の界「龍門」に至る。
この辺りは急に川幅が狭くなり急流になっている。見事ここを登り切れた鯉は龍に成れるとされてきた。
この「登龍門」の語源は東漢後期の情勢から来ている。詳しくは後漢書をご覧あれ。
この地に禹廟が築かれたのはこの漢代のこと。元、明、清と増築が行われ、数々の楼閣や碑坊が置かれていた。
1942年日本軍により破壊されてしまい、長いこと放置されていたとのこと。70年代にここを旅した方は「黄河の雄大さ以外
は特になにも印象に残っていない」と話されている。
現在の碑亭は1989年に国務院が建てたもの。明代の学者詩人「薛文清」による「龍門八景詩」が裏手に刻まれている。
観光客のものとみられる落書きが目立つ。かなしいものだ。 |
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| 014「文官不愛銭」碑 |
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浙江省杭州市岳飛墓 |
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杭州岳飛廟 |
岳飛紀念館後庭 |
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岳飛紀念館内岳飛像 当該石碑 |
岳飛墓 |
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▲「王曰 文官不愛銭,武官不惜死,不患天下不太平」
・・・・文官は金の亡者にならず、武官は命を惜しまずにいれば即ち天下太平となる。
これは南宋英雄の岳飛(1103-1142)が好んだ句である。岳飛の眠る杭州西湖のほとり「岳飛墓」内の岳飛紀念館裏手に
この名句刻碑がある。山谷老人の書、即ち黄庭堅(1045-1105)の手書。 |
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013 各碑 |
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浙江省杭州市西湖孤山 |
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(左)華厳経塔 (右)呉昌碩日下部鳴鶴結友百年銘誌碑 |
小龍泓洞とケ石如の石像 |
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錦帯橋と缶廬(故名:缶亭)上寿記 |
摩崖題記(風化しきっているものもある) |
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啓功題碑「百年名社千秋印学」 |
金石篆刻碑廊 |
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▲ とは金石や篆刻を研究する学術団体で1904年に丁仁、呉隠らが創設したものである。
11段からなる「華厳経塔(写真上段左)」には華厳経のほか、十八応真像や金農の金剛経などが刻まれている。 その塔の前には 初代社長である呉昌碩(1844-1927)と当時友好のあった日下部鳴鶴(1838-1922)に関する
「呉昌碩日下部鳴鶴結友百年銘誌碑(写真上段左)」が建てられている。
漢三老石室内には後漢「三老諱字忌日碑」(有名すぎて…)があり、印社内には名家たちの石刻、
摩崖題記のほか数々の見所がある。摩崖丁敬像と缶廬(缶亭)には民国11年に刻まれた「缶亭上寿記」
(中段左の錦帯橋の上あたり)がある。ちなみにこの錦帯橋は「中国一短い橋」とされている。
缶亭石室内には朝倉文夫が手がけた呉昌碩の彫像がある。小龍泓洞前には皖派篆刻芸術創始者である
ケ石如(1743-1805)の石像がある。とにかく書人にはたまらない施設だ!また、孤山内周辺施設も見逃せない。 |
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| 012禹王碑 |
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浙江省紹興市大禹廟墓 |
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▲上段2枚:(別名:神禹銘または )禹の治水に関する伝説にもとずく碑亭である。碑高は1.84b、幅1.4b。
独特の奇古書体77字。この禹王碑は禹王廟に向かい正面に置かれている。廟墓内には他にも碑が多数有。
中段2枚と下段左:碑亭内のガラスにガードされた「 」これは禹を埋葬した際に使用された道具の一種と言われている。
形は砲弾のようである。その 亭を修建した際(天順6年)の碑刻が中段左。ちなみに大禹陵碑(下段右)は乾隆帝の楷書。 |
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| 011趙州橋碑林 |
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河北省趙県 |
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▲「趙州橋(安済橋・大石橋):全長50.82m」のある公園内東南に位置する。この隋代に名工“李春”の手によって
建てられた。石碑には趙県や趙州橋に関することが刻まれている。10数本有。 |
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