中国石刻大全 → 中国各地の碑林





中国各地の碑林(単碑含む)の紹介


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UP 碑林名 所在地 碑数
2006.5.20 028 太白碑林 安徽省 当tu県 100
2006.2.18 027 包公墓神道碑および包拯家訓碑 安徽省 合肥市 2
2006.2.16 026 寿州碑廊 安徽省 寿県城内 50
2005.12.16 025 御制弘仁普済天妃宮之碑 江蘇省 南京市静海寺遺跡 1+α
2005.10.16 024 関林竹葉碑および墓誌室等 河南省 洛陽市洛龍区関林南路 1870
2005.10.2 023 中国翰園碑林 河南省 開封市龍亭北路15号 3700
2005.8.17 022 岳飛廟内各碑 河南省 湯陰県岳廟街86号 200
2005.7.11 021 黄粱夢廣済宮功徳碑林 河北省 邯鄲市黄粱夢 15
2005.6.22 020 司馬遷祠墓碑林 陜西省 韓城市芝川鎮東南高崗上 50
2005.6.4 019 東岳廟碑林 北京市 朝陽区朝陽門外大街 90
2005.5.20 018 銅雀台詩碑 河北省 臨ショウ県ギョウ城三台遺跡 1
2005.5.11 017 龍山題名摩崖刻石 浙江省 紹興市龍山 30
2005.4.30 016 天津天后宮碑林 天津市 南開区 30
2005.4.29 015 大禹廟遺蹟紀念亭碑 山西省 河津市龍門 1
2005.4.25 014 「文官不愛銭」碑 浙江省 杭州市岳飛廟内 1
2005.4.21 013 西冷印社(正: 浙江省 杭州市西湖孤山 100
2005.4.18 012 禹王碑(神禹銘碑) 浙江省 紹興市大禹廟墓 20
2005.4.15 011 趙州橋碑林 河北省 趙県趙州橋 10
2005.4.13 010 白雲観各碑 北京市 西城区西便門外白雲路 40
2005.2.10 009 蘭陵王碑 河北省 磁県劉荘 1
2005.2.5 008 舞鶴賦刻石 浙江省 杭州市孤山公園内放鶴亭 1
2005.2.4 007 邯鄲碑林 河北省 邯鄲市叢台公園内 50
2005.2.3 006 独楽寺碑林 天津市 薊県独楽寺内 50
2005.2.1 005 十三経 北京市 孔廟(首都博物館内) 240
2005.2.1 004 殷墟甲骨文碑林 河南省 安陽市殷墟博物館内 30
2005.2.1 003 毛沢東詩詞墨遺碑林 天津市 薊県黄崖関長城内 50
2005.2.1 002 長寿園 天津市 薊県黄崖関長城内 500
2005.2.1 001 進士題名碑 北京市 孔廟(首都博物館内) 60





028太白碑林
2005.11.2到達
安徽省当tu県
太白碑林全景 入口で出迎えてくれる三首
手前には李白の彫像がある。(酒持ってるよ) 中央が毛沢東「夜泊牛渚懷古」。右が魯迅「越中覧古」。
左は1964年作の郭沫若詩。
各碑 碑廊風景
左:中国書法家協会の言恭達書「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」
右:中国書法家協会の胡寄樵書「南陵別児童入京」
中庭を取り囲むように碑廊がある。
墓園全景 太白墓(李白墓)
杜甫や他の詩人が自作の詩中にて李白と酒を結び付けているように、彼は無類の酒好きであった。
出身については諸説乱舞するところであり、蜀説や西涼説などがある。最期はこれまた伝説では
あるが「酒」と結びつき締めくくられることが多い。
ご存知「早發白帝城」を詠んだ数年後、夜間乗船中に
水面に浮かぶ月を捕らえようとして落ち、溺死した・・・という。
「詩聖杜甫」と並び「詩仙李白」と称されている。
さて、今回の舞台は白居易が詠んだ詩「李白墓」内でも言われているように(采石江辺李白墳・・・)
安徽省東部の長江東にある。(采石とは太白楼も置かれている采石磯という馬鞍山の古跡を指す。)
墓園は整備され立派な碑坊が向かえてくれ、内部にはこの太白碑林のほか書院、書画苑、享堂など
があり奥のほうに墓台がある。この碑林には李白が生涯に詠んだ代表的な詩が100首刻まれている。
揮筆した人物も錚錚たるものだ。毛沢東や魯迅、郭沫若をはじめ、地元馬鞍山のお偉いさんや中国書法家協会の
メンバーなどだ。幾つか拓本がほしいと思い、墓園の服務部へ赴いたが「担当が食事中だ!わしゃ知らん!」
と午前10時に言われ、断念した。酒嫌いな私にとって、実のところ「酒」三昧の李白はあまり好きではないのだ。
で、見るもの観たら早々に次の目的地へ向かった。
そうそう、なぜかこの一帯は砂埃がスゴイ。気をつけられたし!また、上記画像を見てお分かりのように誰もいない・・・。

027包公墓神道碑および包拯家訓碑
2005.10到達
安徽省合肥市
墓園石碑 包公墓神道碑
裏側には包公の細かな説明が刻まれている。
この墓園は1988年に建設されたもの。墓は昔、郊外にあったようだ。
約300mある神道の右脇に立っている。他に石刻群もある。
碑額 碑面刻字
包公墓全景 包拯家訓碑
1973年に郊外で発掘されここに移された。墓室も展示公開されている。
高さ2.4mの墓碑には「宋枢密副使包孝粛公拯之墓」と刻まれている。
宋代の名文官「包拯(尊称として包公)999-1062」。日本ではそれほど知られていない人物であるが、中国国内では
岳飛や孔明を凌ぐほどの人物とされています。日本人が大岡越前を描くのに似ています。
そう、「弱きを助け、強きをくじく」裁きで知られる人物なのだ。現在に伝わるお話の大岡越前版は
ツクリモノが多いのに比べ、包公モノは史実がほとんどだそうだ。

そんな包公が幼少の頃過ごした地合肥に祠と墓が建っている。その墓の神道に立つ碑がコレである。
合わせて附墓区に眠る婦人や長子墓の傍に趙樸初書の「包拯家訓碑」があるので挙げておく。
敷地内には碑廊もあるが、それはまた別に紹介したいと思う。

026寿州碑廊
2005.11到達
安徽省寿県城内
孔子廟大成殿 敷教坊題額
賑やかな通りから櫺星門をくぐり孔子廟内に入ると静かな空間が広がる ここでも趙樸初の題字がみられる
碑廊各碑 碑廊片景
篆書体からスマートな楷書まで大小さまざまな作品が並ぶ 作者は土地の人が中心だ
明倫堂前庭 奎光閣
画像では見えませんが、明倫堂内では麻雀を興じる人が数百人・・・ 全県(寿県)重点文物保護単位の楼・・・朽ちてます
肥水の戦い(正しくはサンズイに肥)で知られる寿州。その寿県内の中心から少し西に行った
あたりに孔子廟があります。2005年夏に出来たばかりの櫺星門をくぐり、奥へ進むと
その碑廊が
出迎えてくれる。1989年に寿県人民政府が発表した老年楽園事業の一環でこの「寿州碑廊」が
造られた。よって、殆どの碑が1990年前後の作となる。
現在の「老年楽園」は麻雀とトランプに興じることが大切らしいが・・・。
この田舎も変貌をとげ、2006年には道の反対側に巨大な寿県博物館がオープンする。
余談だが、「寿春城」城壁城門はすばらしいよ!東西南北の城門を歩いて廻れるのだ。

025御制弘仁普済天妃宮之碑
2005.10到達
江蘇省南京市
御制弘仁普済天妃宮之碑碑面 碑全面および鄭和像
碑面 鄭和紀念堂そばにある碑座遺跡
天妃宮碑亀趺(きふ) 鄭和紀念堂
左の黒いのが・・・恢復対香港行使主権倒計時碑 香港返還関連碑廊
天妃宮の碑亭にある複製 天妃宮の碑亭
699字からなるこの碑は1997年にお隣の「天妃宮遺跡(現在は綺麗に整備されている)」よりここ
「静海寺遺跡(こちらも修復され整備済)」へ移された。1957年に省級文物保護単位に指定されたこの
「御制弘仁普済天妃宮之碑(通称天妃宮碑)」は、明永楽年間に航海の守護神「天妃」と鄭和(1371-1433)
の航海の聖徳と紀念して建てられた。

今年(2005年)の1月に静海寺遺跡内から掘り出された基座は鄭和記念館の敷地内にある。
以前天妃宮碑が置かれていた場所(現天妃宮=観音院)には精巧に作られた1/1の天妃宮碑が
碑亭内に置かれている。古天妃宮碑も雨風から保護するために囲いがされていたはずなのだが、
私が訪れたときは野ざらしであった。(ん??これも複製か??と思わせる始末。。)

また、静海寺遺跡は南京条約の締結交渉の場でもある。1997年7月1日0:00に中国政府が香港に
対する主権行使が回復したのを記念して鳴らされた「警世鐘」もある。
なんと、鐘は高さを1.842メートル(南京条約は1842年)、下部の 直径を1.997メートルとするなど、
凝ったものだ。
香港返還に際し、政府関係者など著名人が揮毫した書の石碑の碑廊もあるのでついでに見てみるとよいだろう。

024関林竹葉碑および墓誌室等
2005.2到達
河南省洛陽市洛龍区関林南路
関林大門
広場では凧あげをしている人が目立つ
左:関羽像   右:竹葉碑(関羽密書)
左は関羽像碑。右は「関帝詩竹」とも呼ばれる竹葉碑。詳しくは下の説明へ。
関林
この門の両脇に像碑と竹葉碑がはめ込まれている。
碑楼内部のようす
闇雲に内部へ進むのではなく、時代ごとにわかれて展示
されているので、「商代」からみてほしい。
碑刻墓誌室 碑刻墓誌室内その一
洛陽周辺から出土した墓碑を集めた資料室。東魏〜民国まで。
各年代の墓誌碑のようすを勉強できる。文物は700件あまり。
代表的な収蔵品は「曹魏王基墓碑」、「北魏元懌墓志」、
「唐菅元惠神道碑」などである。
碑刻墓誌室内その二 忠義神武霊碑
石刻芸術が展示されている古代芸術館(展示文物は1100件ほど)
およびここの石刻墓誌室は1981年に建てられた。
この後ろに関羽塚がある。別名は『鐘霊処』。
碑面文は「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝林」
功徳碑群 左:漢寿亭碑  右:関羽塚
主に民国期〜現代までに建てられたもの。
台湾や韓国からの寄進碑も見られる。
東漢建安24年(219年)に関羽は殺された。曹操はこの地に関羽の
首を丁重に葬ったとされる。塚が建設されたのは清代になってから。
関林時代の創建年代は今だ議論のあるところ。その中でも現存する最古建物は明万暦年間のもの。
『関林石碑』という観点からみて最古のものは「明代重建関王塚廟記」。
その後の清・民国・現代と重建記碑および功徳記碑が多くある。関林境内には70数基の石碑がある。
(墓誌室内碑等を含めると1870基ほど)

見所のひとつとされる入口付近にある竹葉碑をすこし説明・・・清康熙55年(公元1716年)のもの。
「不謝東君意、丹青獨立名、莫嫌孤葉淡、経久不彫零」

(曹操のご好意に感謝はしないが歴史に名を残したいと思っています。己の力は一枚の葉っぱのように弱いが永遠に枯れることはない)
と、劉備に忠誠心を伝えた漢詩である。清代になって石碑にされた。拓本は数多く出回っているが、
書道界ではあまり注目されてはいない。・・・・ちなみに竹の葉が文字になってるんですよ!


023中国翰園碑林
2005.2到達
河南省開封市龍亭北路15号
中国翰園牌楼(南大門)
立派な「四柱五間七楼垂花(人+方)木大牌楼」である。
左:黄帝像   右:碑壇
人文始祖と崇められる軒轅黄帝像が聳える。
主体碑楼
この日は年に一度の「翰園春節祭祖廟会」が開催されていたので、
このように賑わっている。普段はこの1/100程度の人出。
碑楼内部のようす
闇雲に内部へ進むのではなく、時代ごとにわかれて展示
されているので、「商代」からみてほしい。
歴代書法碑廊「商代」
ここがスタート地点だ。商代をもっと学びたい方は是非
安陽の殷墟甲骨文碑林を見学されたし。
歴代書法碑廊「宋代」
手前は文人画の創始者と言われる北宋詩人蘇軾の詩で、
大江東去からはじまる「念奴嬌」。
西周大孟鼎碑 画碑廊のようす
西周期の青銅器に刻まれた銘文は多く残されている。
この碑林でもたくさん(碑を)見ることができる。本物は博物館へ!
書法だけではなく、画法碑廊もあるので楽しめる
・・・トイレも一階部分に完備。
規模的に西安碑林や曲阜碑林を遥かに凌ぐ碑林があるのをご存知だろうか?それがここ中国翰園碑林である。
碑林というと“歴史有るモノ”というイメージが大きいが、こちらは1984年8月25日から建設を開始した近代建築物。

驚くのは一個人の事業という点だ。1927年生まれの恐義出身の李公壽という人物。中国書画家協会の理事や
中国孔子学会の会長職を歴任し、定年後に全財産を投入し碑林建設に着手した。「河南省孔子学会」もここにある。

碑石の数は現在(2005年)3700基。碑林と名はついているが、聳える碑ではなく碑楼の集合体である。
商〜近代まで年代順に有名どころの碑を殆どを拝めるはか、韓国や日本の書家の作品が並ぶ「国際友誼碑廊」もある。
『中国の歴史上初めて造られた民間碑林--中国翰園碑林』・・・一度は訪れてみる価値はあるだろう。


022岳飛廟内各碑
2004.6到達
河南省湯陰県
岳飛廟碑廊その1
碑廊には左右合わせて約200碑が建ち並ぶ。
岳飛廟碑廊その2
廟内墓石墓碑類および古碑
廟内至るところに明清代の墓碑がゴロゴロしているほか、
南宋〜元の時代の詩詞(明代の刻石)もみられる
岳飛廟碑廊その3
岳飛に関する詩や詞が多い。
採拓に関しては文物管理局へ問い合わせを!
岳飛関連碑
岳飛を湛える詞や無念さを訴える詩が刻まれている
ん?右側のことばはどこかで見たような??こちらをごらんあれ!
三国蜀斜陽詩碑
明万暦13年(1585年)のもの。それまでの三国時代の講談が
「演義」に集約された時期と重なる。玄徳、翼コの名が見られる
採拓風景(室内) 全国より寄せられた廟関係詩
乾隆碑
乾隆15年(1750年)のもの。辛亥革命後にこの場所に移された
岳廟街
岳飛廟(岳廟街86号)へはここを入る
岳飛の故郷であるここ湯陰に岳飛廟が建てられ始めたのは明景泰元年(1450年)。完成には数年を要したようだ。
廟内の最も古い「碑」は「岳穆王詩序碑」で1452年のもの。「精忠報国碑」および「重修岳忠武王廟記碑」が最も
新しく1936年のものである。作者の中には明の太祖朱元璋や董其昌、海瑞、曾用升、何紹基などの大人物も
含まれている。中には明清代の中国へ渡った外国使節団のものもみられる。これほど完璧で整備された石碑群は
珍しいことから、国内外から文学芸術や史学研究の専門家が訪れている。この廟は2001年6月に国務院により
国家文物保護単位に批准されている。


021黄粱夢功廣済宮徳碑林
2004.6到達
河北省邯鄲市
黄粱夢廣済宮功徳碑 黄粱夢廣済宮主殿
「邯鄲の夢」で知られる「黄粱夢」広場対面にある「黄粱夢廣済宮」前に位置し、「功徳永存碑」や「功徳千秋碑」などが
建ち並ぶ。これらの碑は歴史的価値は無いものの現地の人々の思い入れが垣間見れる文物である。どんなことが彫られ
ているのかと言えば、施設が1995年11月に邯鄲市文物保護単位に批准される際に、修復などの費用を寄付した人々の
功績を称えたものだ。ちなみに本家「黄粱夢」は国家等級旅游区(点)の★★★(三つ星)にも批准されているので、
こちらの「黄粱夢廣済宮」とは比較にならない。



020司馬遷祠墓碑林
陜西省韓城市芝川鎮東南高崗上
司馬古道 列伝碑
管晏列伝碑(※刻字模様が分かるようグレースケール化) 伯夷列伝碑(※刻字模様が分かるようグレースケール化)
芸刻展示室内部-1 芸刻展示室内部-2
▲ここは韓城南部にある司馬遷祠墓。墓は最上部にあり、途中までは「神道=司馬古道」が続く。昔は1500mという
長さがあったが、現在は300mほどの石畳の道だ。石の丸み具合からしても相当な年月が経っているのがわかる。
その古道中段あたりの左手に「碑林」が設けられている。神道を進むと、祠墓へ続く99段の階段へと通じる。
祠墓の創建は西晋永嘉4年(310年)である。

碑林内の石碑全てが司馬遷に関するものだ。そのほとんどが1957-8年の改築時以降に作製された碑であり、
近代書家の作品である。その中でも代表的なものが郭沫若書の碑
(碑林景区内にはないので後日紹介予定である。
碑林には『史記』(三十世家・ 七十列)関連の
伯夷列伝や管晏列伝などが刻まれている碑が屋外に並び、
屋内には近代書家の題詩碑が並ぶ。


019東岳廟碑林
北京市朝陽区朝陽門外大街141号東岳廟内
東岳廟入口(開放される際に作られた) 東嶽殿(この前の神道両側に碑林がある)
西碑林全景 東碑林全景
清代修建記碑亀趺 無石亀趺
乾隆御碑 左:道光・嘉慶年間重刻碑  右:「康煕御碑」
▲元代創建の「東岳廟(北京民俗博物館と同居)」内の東庭と西庭に碑林がある。(五岳の筆頭「東岳泰山」に代表される
東岳大帝とは道教や民間信仰の祭祀上の神とされている。)

 北京でも賑やかな朝陽門外大街藍島に程近く、周囲には商業ビルやオフィスビルが建ち並んでいる。そんな「東岳廟」が
一般に開放されたはつい最近の1999年のことだ。ちなみに中国全土に点在する東岳廟の数は孔廟に次ぐ多さである。

 ここ北京の東岳廟には元朝から清朝にかけて幾度となく行われた重建修建を記念して建てられた碑や民間善会が建てた
碑など全部で140碑ほどを数えるのだが、「亀趺(きふ)」のみになってしまったものや碑刻石残骸石を除くと90ほどの碑が
現存している。中でも日本人にも大人気の趙孟ふ(1254〜1322)筆の「張留孫到行碑」は御碑と共にこの碑林を代表する
記碑である。

 無残にも破壊されてしまったものや碑が盗まれて土台である亀趺しかないもの。一般には残骸と見られてしまう文物も
あるが、歴代の石碑形状を研究する上で大変重要な資料とされている。

 「乾隆御碑」は乾隆26年(1761年)に建立された。こちらも他と同様に東岳廟が修復された際に刻まれた碑であり、
正式名称を「東岳廟重修碑記乾隆御碑」という。その名の通り清高宗(乾隆帝)の筆によるものだ。


018銅雀台詩
河北省臨ショウ県ギョウ城三台遺跡
ギョウ城三台遺跡 左:「銅雀台瓦」  右:「銅雀台碑」
▲唐宋八大家の一人『王安石(1021-1086)』の詠んだ
『銅雀台詩』(吹尽西陵歌舞塵,当時屋瓦始称珍 甄陶往往成今手,尚託虚名動世人)
碑石が置かれている。いつごろ刻されたものかはわからないが、刻字を見て雑な印象を受けた。
この銅雀台については三国志史跡関連に強い「なんちゃって世界紀行」さんサイト内に詳しく解説がある。

017龍山題名摩崖刻石
浙江省紹興市
龍山題名 唐代名人摩崖題字処
宋代摩崖刻石 「茶」・・・宋代の石刻とみられる
▲「古越龍山」、、、今では銘酒として知られている紹興の龍山。「越王殿」や「越王台」のある小高い山の北側、
「文種墓」の先にこの唐〜宋代に刻まれた磨崖刻石(石刻)がある。『龍山題名』(紹興市文物保護単位1961.9.29公布)
を代表として、大小30ほどの題名や詩、詞が刻まれている。

016天津天后宮碑林
河北省趙県
天后宮
碑林全景 碑林
▲天津の歴史は1404年(明永楽2年)に天津城(天津衛)が築かれたことに始まる。
それよりも遥か昔の隋朝に南北大運河が築かれ、天津の地を縦断している。南運河、北運河そして渤海(現海河)
との交差地点「三匯海口」が天津発祥の地とされ「三津」とも呼ばれている。この場所が「天后宮」の置かれている
場所なのだ。昔はこの廟から海が見えたのですねぇ。三津の名は天后宮内の扁額に残されています。「三津福主」と
「佑衛三津」です。

天后宮は天津城が築かれる前の元泰定3年(1326年)に媽祖(まそ)廟として築かれた。世界三大天后宮のひとつである。
(他のふたつは福建省と台湾にある)

さて、碑林のほうはというと4基の廟前碑のほか、現在書家筆の碑刻が碑廊に飾られている。拓本を取りにくる人も少ない
のだろう。それほど汚れた形跡はなかった。

2000年ころまでは廟前には天津古文化街があって古玩市場のように賑わいをみせていたが、古楼広場方面に移転して
しまった。この辺りも大開発の波にのまれている。

015大禹廟遺蹟紀念亭碑
山西省河津市
大禹廟遺蹟紀念亭碑(左:裏,右:表) 石碑頭図
龍門黄河(激流かなぁ?) 左が陜西省 かつて大規模な廟があったとは信じがたい…
▲函谷関を左手にみて黄河を遡ると右に急カーブする。先(北)へ更に遡ると陜西省と山西省の界「龍門」に至る。
この辺りは急に川幅が狭くなり急流になっている。見事ここを登り切れた鯉は龍に成れるとされてきた。
この「登龍門」の語源は東漢後期の情勢から来ている。詳しくは後漢書をご覧あれ。
この地に禹廟が築かれたのはこの漢代のこと。元、明、清と増築が行われ、数々の楼閣や碑坊が置かれていた。
1942年日本軍により破壊されてしまい、長いこと放置されていたとのこと。
70年代にここを旅した方は「黄河の雄大さ以外
は特になにも印象に残っていない」と話されている。
現在の碑亭は1989年に国務院が建てたもの。明代の学者詩人「薛文清」による「龍門八景詩」が裏手に刻まれている。
観光客のものとみられる落書きが目立つ。かなしいものだ。

014「文官不愛銭」碑
浙江省杭州市岳飛墓
杭州岳飛廟 岳飛紀念館後庭
      岳飛紀念館内岳飛像               当該石碑 岳飛墓
▲「王曰 文官不愛銭,武官不惜死,不患天下不太平」
・・・・文官は金の亡者にならず、武官は命を惜しまずにいれば即ち天下太平となる。
これは南宋英雄の岳飛(1103-1142)が好んだ句である。岳飛の眠る杭州西湖のほとり「岳飛墓」内の岳飛紀念館裏手に
この名句刻碑がある。山谷老人の書、即ち黄庭堅(1045-1105)の手書。

013各碑
浙江省杭州市西湖孤山
(左)華厳経塔 (右)呉昌碩日下部鳴鶴結友百年銘誌碑 小龍泓洞とケ石如の石像
錦帯橋と缶廬(故名:缶亭)上寿記 摩崖題記(風化しきっているものもある)
啓功題碑「百年名社千秋印学」 金石篆刻碑廊
とは金石や篆刻を研究する学術団体で1904年に丁仁、呉隠らが創設したものである。
11段からなる「華厳経塔(写真上段左)」には華厳経のほか、十八応真像や金農の金剛経などが刻まれている。
その塔の前には初代社長である呉昌碩(1844-1927)と当時友好のあった日下部鳴鶴(1838-1922)に関する
「呉昌碩日下部鳴鶴結友百年銘誌碑(写真上段左)」が建てられている。
漢三老石室内には後漢「三老諱字忌日碑」(有名すぎて…)があり、印社内には名家たちの石刻、
摩崖題記のほか数々の見所がある。摩崖丁敬像と缶廬(缶亭)には民国11年に刻まれた「缶亭上寿記」
(中段左の錦帯橋の上あたり)がある。ちなみにこの錦帯橋は「中国一短い橋」とされている。
缶亭石室内には朝倉文夫が手がけた呉昌碩の彫像がある。小龍泓洞前には皖派篆刻芸術創始者である
ケ石如(1743-1805)の石像がある。とにかく書人にはたまらない施設だ!また、孤山内周辺施設も見逃せない。

012禹王碑
浙江省紹興市大禹廟墓
▲上段2枚:(別名:神禹銘または)禹の治水に関する伝説にもとずく碑亭である。碑高は1.84b、幅1.4b。
独特の奇古書体77字。この禹王碑は禹王廟に向かい正面に置かれている。廟墓内には他にも碑が多数有。
中段2枚と下段左:碑亭内のガラスにガードされた「」これは禹を埋葬した際に使用された道具の一種と言われている。
形は砲弾のようである。その亭を修建した際(天順6年)の碑刻が中段左。ちなみに大禹陵碑(下段右)は乾隆帝の楷書。

011趙州橋碑林
河北省趙県
▲「趙州橋(安済橋・大石橋):全長50.82m」のある公園内東南に位置する。この隋代に名工“李春”の手によって
建てられた。石碑には趙県や趙州橋に関することが刻まれている。10数本有。



010.白雲観各碑
北京市西城区西便門外白雲路
▲道教の聖地「白雲観(別称:天長観)」内には元代から現代までの大小様々な石碑が置かれている。学問の神様孔子も関
連するとあって「進士題名碑」が置かれているほか、道教および全真道に関する碑(主に90年代の碑刻)が50点ほどある。

009.蘭陵王碑
河北省磁県劉荘蘭陵王墓
▲「蘭陵王墓」は河北省南部一体に広がる「北朝墓群」に属し、この蘭陵王とは北斉高祖神武皇帝の孫の徐州蘭陵郡の
王「高粛」のこと。この「蘭陵王碑」は北朝期の貴重な政治内政資料であり、国家重点文物保護単位にも批准されている。

008.舞鶴賦刻石
浙江省杭州市孤山公園内放鶴亭
▲孤山内のこの「放鶴亭」は宋代詩人の林和靖(967-1028:右下写真は林和靖墓)を記念して建てられたもの。
 亭内の壁に刻まれた「舞鶴賦」は南北朝期の鮑照(明遠)の作品。刻石文字は明代の書家「董其昌」のもので、
 清康煕帝のときにここに刻んだ。左下は孤山公園入口。孤山の北側に放鶴亭および林和靖墓はある。

007.邯鄲碑林
河北省邯鄲市叢台公園内
▲中国「百家名園」のひとつ「叢台公園」内の奥にある。ここでは貴重な邯鄲に纏わる碑刻がみられる。

006.独楽寺碑林
天津市薊県独楽寺内
▲保存状態は良いとは言えないが面白いものが多い。乾隆御筆碑刻もある。「特急書画師」の甄子恒先生の書室がある。

005.十三経
北京市孔廟内
▲乾隆石経は延べ63万字にも達する。このほか、康煕御書《大学》碑も有。許可を得れば拓本も取れる。販売もしている。

004.殷墟甲骨文碑林
河南省安陽市殷墟博物館
▲広大な殷墟博物館内の北東に位置する。殷墟内では多くの甲骨文を見ることができる。

003.毛沢東詩詞墨遺碑林
天津市薊県黄崖関長城内
黄崖関内にある毛沢東詩の碑林です。長城観光前に…と思っていてもこちらがメインになってしまうかもしれませんね。

002.長寿園
天津市薊県黄崖関長城内
▲「百寿」、「千寿」どころではありません。数は調査中ですが、かなりの数にのぼります。許可を得れば拓本もとれますよ。

001.進士題名碑
北京市孔廟(首都博物館内)
▲元から清晩期までの進士題名碑が立ち並ぶ。中央の広場には孔子像が置かれている。


〜拓本は掛軸に!〜


中国四大碑林 文物数
陜西省西安市 西安碑林 11700
山東省曲阜市 孔廟碑林 2000
四川省西昌市 地震碑林 1000
台湾省高雄市 南門碑林 100
上記の台湾を除き、北京孔廟碑林を加えることもある